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最近、忘れていたこと

自分自身や周りのことを冷静に見たときに、つい忘れてしまっていることがあることに気がつく。

 

ひとつは、今の何もないと言えども幸せな日々であるということ。

 

いつも、こんなことを綴っているが、何気無い出来事や感じたことはいつか思い出になる、そう思うとどんなときだって今は幸せだということを忘れてはならない。

 

もう一つ忘れていたことがある。

 

それは、自分の使命。

自分で言うのもおこがましいが、私は自分のこだわりを持つことが大切だと思ってい

る。その分、周りに合わせたりせず、自分の思いをぶつけ、ときには損をすることも

ある。でも、自分の使命をはっきりさせることで、自分の存在価値が見えてくる。

そうして見えた自分の存在価値は決して忘れてはならない。

きっと私にしかできないことがある、ときにはきっとあの人にしかできない、自分の

存在価値を忘れないながらも、他人の存在価値を認めることが人間社会に求められる

ことなのかも知れない。

思いを伝えられなるということ

私が最も辛いと感じるのが、他人に自分の思いを伝えられないこと。

自分の気持ちや考えを相手に伝えられないくらい、辛いことはないだろうと感じる。

でも、もういいやと吹っ切れてみた。もちろん安易にそんなことをしたのではない。

私は人間の一番の良さは、心を持っていることだと思っている。

その心に潜む気持ちを精一杯伝えても、相手には伝わらないこともやっぱりある。

相手は自分とは違うのだということはわかっていても、相手が話している側の気持ち

をわかろうとしないのなら話は別だと思う。

人はみんな刀を持っている。その刀を簡単に振り回す安っぽい人間にはなりたくない

が、人の気持ちをわかろうとしない、そんな相手なら刀を使うしかないかも知れない。

つまり刀を使って切り捨てるということ。安っぽいと思われるかもわかないが、悩みに

悩んで、刀を使うことにした。

刀を使った感想は・・・あまり気持ちのいものではない。

刀を使うと、もう自分の言葉は永遠に伝わらなくなる。それを覚悟の上であったが、

やはりそのこと自体は辛いし寂しい。伝えたかった内容を知っているのは自分だけで、

誰にもわからない。

人と人との繋がりは、この世の中で最も大事なことなのかも知れない。

 

 

旅に出て感じたこと

いつもどこかへ行きたいと思いながら、予定していた時間が他の事で取られたりして、なかなか出かけることができなかった。時間ができても、急にやっぱり近くでゆっくり過ごそうなど、気の変わり様もあったため、最近は旅らしい旅もしていなかった。

そんな中、一泊の予定で山形県の米沢を訪ねてきた。米沢と言えば、米沢牛や温泉をイメージされる人も多いだろうが、私の目的は上杉鷹山を感じる旅。山形には以前から縁があり、何度か訪れたことがあるが、米沢はいつも通過点になっていた。ちなみに本題とはあまり関係がないかも知れないが、上杉鷹山は、今の時代においてもリーダー層が見習うべきスーパー名君である。内容には触れないが、本が出版されているので、ぜひ読んで頂きたいおすすめの一冊。

旅に出て感じたのは、やはり来て良かったと感じたこと。何気ない感想ではあるが、米沢の地を巡って、地元の方の言葉(方言)を聞いたり、特産品を見たり、これはすべて思い出になると感じたことが大きいと思う。道を歩いていると、すれ違いの見知らぬ中学生らしき女の子が「こんにちは」と声をかけてくれた。少し驚いたが、「こんにちは」と返事すると、彼女は何もなかったかのように去っていった。旅にはこんな見知らぬ人との出会いもある。挨拶くらいで出会いと表現するのはどうかと思われそうであるが、言葉も交わすことなくすれ違いとなることが多い中、これからいったい何人と言葉を交わすことができるのか、そう考えると私は貴重なことだと思う。

山形牛丼を頂くため、山形にも立ち寄ったが、山形駅には温かいものを感じた。若手社員が作成したと思われる、手作りの観光マップを配布したり、受験生に対してお手製の合格祈願のお守りを配布していた。これは「別にしなくてもいい行為」の領域にはなるが、これを単にJRのサービスと捉えるだけに終わるのか。私は、人の気持ち、温かさがあるのだと感じる。私のような観光客にとってはもちろんのこと、地元の人にもこの温かさが通じ、地域密着が根付いているのだろうと感じた。

話は変わるが、駅のパンフレットを陳列している前で高校生が数人で卒業旅行の計画でもしているのか、はしゃいでパンフレットを見ていた。そこに手押し車を押した老婆が現れ、立ち話で邪魔になっていると感じた高校生たちは「すみません」と言った。もちろん当たり前のことなのではあるが、なかなか出ない言葉なのではないかと感じた。しかも、老婆が通ると思われるところにはガラス扉があり、なんと高校生の一人が開けてあげようと思ったのか、手すりに手を添えて老婆を見ていた。結局、老婆はそこを通らなかったが、そんな気遣いができる高校生たちを見て関心した。いつでもどこでも学校の延長感覚である学生もいれば、場の状況からきちんと対応できる学生もいる。多分私だったら、できなかったと思うし、現にその場においてもガラス扉を開けてあげようとは思わなかった。まずは自分が見習わなければならないが、どうすればこんな高校生が?と少し考えてしまった。

やっぱり旅に出て良かった。今は写真を見ながら余韻に浸っている。

旅は残る物を買うのと同等の価値がある。

 

 

 

校長先生は孤独

昔、誰から聞いたのか思い出せないが、「校長先生は孤独」という言葉を聞いたことがある。そのときはまだ人生経験が浅いときだと記憶しており、全く意味がわからなかった。しかし今はこの言葉の意味がよくわかる。

私は校長先生ではないが、今の職場では実務部隊を引っ張るリーダー層の仕事をさせてもらっている。管理職ではないが、一般職の中の管理層であるというこの位置に置かれ、孤独を感じることがよくある。それは少なくとも他人に対して指示業務が発生するからである。私は「他人は自分とは違うのだということを忘れない」という考えを持って接しているつもりであるが、時にはどうしても相手が納得しない指示をしなければならないときもある。当人にすれば指示なので、仕方なく遂行してくれるものの、後日、私が酒のつまみになっていることは間違いない。

人を動かしたり、納得のいく仕事をさせるというのは非常に難しいことであると思う。そういう意味では、すべての人にとって理想の上司など、存在しない。「どうすれば伝わるかな」「どうすれば上手くいくかな」、日々そんなことを考え、周りには簡単に相談することもできない、そう思うとこの位置の職務は孤独だと感じる。

目の前にいるときは上司として扱い、目の前にいないときは悪口を言われる、総じて考えると嫌われ役のポジションなのだと思う。私も上司のことを悪く言うときもあるし、酒のつまみにしてしまうこともある。良いように考えるならば、今の立場をしっかり理解できたということに、自分自身の成長がみられたと解釈するしかないと思う。

人として生まれてよかったこと

「人として生まれてよかった」など、そんなこと自体考えたこともなかったが、最近は歳を重ねたせいなのか、ふと思う時がある。それはふとした出来事で、過去を思い出すときである。

私は昔から旅行が好きで、中学生のときどうしても北海道に行ってみたいと思っていた。当時はいまのようにLCCもない中で、安さを選べば時間と体力が消耗するのが当たり前であった。わずか4万円で一週間の北海道旅行に行くと告げたとき、両親は何も言わずに旅立たせてくれたことと、10万円を予備で持って行きなさいと渡してくれた。両親が持たせてくれたお金には手を付けることはないと思っていたが、帰ってきたらすべてを使い切っていた。それでも両親は構わないとあっさり対応してくれた。今思い出しても、よくしてくれたと思う。当時の計画性の甘さなど、迷惑をかけてしまったが自分にとってはいい思い出になっている。

最近、また北海道に行こうかと思っている。そういえば中学生のときに尋ねた宿のお姉さんは、どうしてるかなーとか、どんな人生を歩んだのだろうなど、他人事とはいえ、何かの縁あって出会った人、少し考え深いものがある。そんなことを布団で考えていると、昨晩はあまり眠れなかった。その人とはもう出会うことがないだろうけど、話すことができたら楽しいだろうな。

人ってこんなことを考えながら感じながら、歳を重ねることができる生き物なのだと思うと、本当に幸せだと感じる。

静かに年明け

新年、あけましておめでとうございます。

仕事柄、正月など季節を感じないことが多い中、ここ最近は「ゆっくりして下さい」と仲間に気を使ってもらっていることもあり、無駄に休んでいるような気もする。

正直、正月にお休みがあっても何もすることがない。今年はどうなるかなと余計なことを考えるばかりで。でも、新年を無事に迎えられたということは何にも代え難い幸せであることは間違いない。この静かな時間で、今年のありたい姿をまた考えてみたいと思う。

今になってわかること

最近、昔読んだことがある本を読み返した。「上杉鷹山」という本である。単行本では2冊の量で、私が就職したときに先輩から頂いた本だ。「なぜこの本なの?」と当時は思いながら、とりあえず読んでいた。簡単にあらすじを言うと、米沢藩の財政を立て直すため、前例にとらわれない改革を推し進め、頭の固い重臣たちとどのように向き合って、改革を進めるかという内容である。士農工商という身分制度がある当時としては、誰もが考えなかった、民主主義的な政策を推し進め、領民に対する「愛」が最も足りていなかったのだと説いた内容になっている。「愛」を取り入れた政策で借金まみれの米沢藩を財政が潤うまでに立て直した上杉鷹山。これは現在社会に置き換えると、上司と部下の関係にあたり、参考になる点が大いにある。この本を読んで、当時先輩が私にこの本を渡したことの意味が理解できた。それからは2度3度と読んでいる。今では読む都度、自身の捉え方に変化があると感じながら読むのが楽しみとなっている。

つい最近、また読み返したのだが、数年前に読んだときと私の受け止め方に明らかな違いを感じる。それだけ多感な毎日を過ごし、充実しているということかもしれないが、間違いなく言えるのは、自分は前に向いて進めているということだと思う。本当は本をくれた先輩に、「おかげ様で私はここまで成長しましたよ」と逢いに行きたいが、今となっては連絡先もわからない。心の中で「ありがとう」と言うしかない。

自身の周りにいる人は、本当に貴重な存在の人ばかりだと思う。日常生活の中では気づきにくいことではあるが、そういう気持ちを忘れずに、これからも人生の気づきを感じながら時間を重ねていきたい。